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巨大高架橋と架道橋

岡山駅から458メートルの下石井踏切付近。線路は18.5‰で第1下石井高架橋を登る
岡山駅から458メートルの下石井踏切付近。線路は18.5‰で第1下石井高架橋を登る
第1下石井高架橋を行く750Dレ
第1下石井高架橋を行く750Dレ
下石井架道橋
下石井架道橋
富架道橋
富架道橋
富町公園から見た第2富高架橋と748Dレ
富町公園から見た第2富高架橋と748Dレ
630メートルの高架区間を走り、第2富高架橋を下る745Dレ。二の橋踏切が見える
630メートルの高架区間を走り、第2富高架橋を下る745Dレ。二の橋踏切が見える
二の橋踏切
二の橋踏切
二の橋踏切付近はいそがしい。1.1キロポストに第2富高架橋に向かう20‰の勾配標があり、写っていないがコンクリート造りに架け替えられた橋梁がふたつあり、そのうちの15の坪橋梁は斜角橋梁だ
二の橋踏切付近はいそがしい。1.1キロポストに第2富高架橋に向かう20‰の勾配標があり、写っていないがコンクリート造りに架け替えられた橋梁がふたつあり、そのうちの15の坪橋梁は斜角橋梁だ
 小学生のときの夏休み一番の楽しみは、富町(岡山市北区富町)の親戚の家に泊まりに行くことだった。三門の國(くに)神社の夏祭りと、奉還町の土曜夜市にも連れて行ってもらった。高い石段のあとのかき氷の味は、半世紀が過ぎてもまだ、舌のどこかに残っているような気がする。総社にはなかった土曜夜市、世の中にこんなおいしいものがあるのかと感動した「えびめし」。二段ベッドも初めてなら、角切りの牛肉カレーも初物だった。見るもの味わうものすべてが「町」だった。

 親戚近くの用水路沿いの道には蝉の声が雨のように降り、蚊取り線香の細い煙の向こうからは蛙の合唱が聞こえてきた。線路に近かったので、ときおり通る吉備線の音も届いた。それがC11だったかキハだったのか、そのときは遊ぶことに夢中だったようで思い出せない。明けがたには、トラックが「ヒタヒタヒタ」というタイヤの音を響かせながら走っていた。なぜそう聞こえたのかわからないが、妙に鮮明に覚えている。

 そんなことを思いながら、梅雨明けの近い備前三門駅から岡山駅まで歩いた。線路は、親戚の家が見える二の橋踏切から岡山駅に向かって20パーミル(※1)で上り、およそ630メートルのあいだ高架の上を走る。岡山駅で吉備線に乗ると、458メートル地点の下石井踏切あたりから18.5パーミルで登り始め、第1・第2下石井高架橋、下石井架道橋(かどうきょう)、第1富高架橋、富架道橋、第2富高架橋と続き、20パーミルを下りながら、二の橋踏切で地上に降りる。高架橋と架道橋はコンクリート造りで、高架橋は柱と梁がつながったラーメン構造。新幹線の高架橋のような姿をしている。架道橋は巨大な下路(かろ)式だ。

 架道橋は道路を跨(また)ぐ橋梁のこと。高架工事の主役は下石井架道橋と富架道橋で、第1・第2下石井高架橋と第1・第2富高架橋はふたつの架道橋への登坂橋梁だ。高架にしたのは、朝夕の通勤時間帯だけでなく、日中もかなり交通量の多い道路の踏切を廃止するためだった。その南では、山陽線の下を島田地下道が通っている。そう思えば、高架やむなしだっただろう。でも全線でただ一箇所だとはいえ、大規模なコンクリート橋梁が連続する姿は吉備線のイメージにそぐわないような気がする。そう思うのは齢(とし)のせいだろうか。

 小学生のころ、岡山・備前三門間は大地の上を走っていた。高架工事が行われた1984年3月から1986年3月は、香川県で大学生をしていたときで、どういった工事がなされたのかも知らなかった。そういえば、SL吉備路号が走った1989年、高架を登る勾配区間なら煙が期待できるのではないかと、夜の試運転列車を見に行った。そのフィルムがどこかにあるはずだ。

 吉備線はいま、桃太郎線と呼ばれ、LRT(※2)化が検討されている。LRTになれば、キハ40系気動車は路面電車のような車両に代わり、備前三門駅は少し東に移転するのだそうだ。一時は赤字・廃止対象路線に数えられた吉備線は、これからどう変わっていくのだろう。叱られるかもしれないが、せめて目の黒いうちは素朴で、のどかな吉備線であってほしいと思う。

 ※1 20パーミルとは、1キロメートル進む間に20メートル上がり下がりする勾配。20‰。1,000分の20。

 ※2 Light Rail Transit。次世代型路面電車。低床式車両(LRV、Light Rail Vehicle)の活用や軌道・電停の改良による乗降の容易性、定時性、速達性、快適性などの面で優れた特徴を有する次世代の軌道系交通システム(国土交通省)

 ◇

 小西伸彦(こにし・のぶひこ)専門は産業考古学と鉄道史学。「還暦を過ぎても産業遺産、特に鉄道と鉱山の遺産を見て喜ぶ、よく言えば研究鉄、ふつうに言えばただのもの好き」とは本人の弁。一般財団法人産業遺産国民会議客員研究員、就実大学人文科学部総合歴史学科非常勤講師、新修津山市史近現代編執筆者、鉄道記念物評価選定委員、産業遺産学会理事。著書に「鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道」「みまさか鉄道ものがたり」(ともに吉備人出版)など。1958年総社市生まれ。香川大経済学部卒。


 

(2020年08月01日 11時00分 更新)

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