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仮設住宅出られず募る不安、焦り 経済的事情がネック、原則2年

仮設住宅を出たいと入居を申し込んだ災害公営住宅の落選通知に目を通す女性=倉敷市真備町
仮設住宅を出たいと入居を申し込んだ災害公営住宅の落選通知に目を通す女性=倉敷市真備町
 西日本豪雨から2年がたった今も、被害の大きかった倉敷市真備町地区では多くの被災者が仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。今月から順次、原則2年の入居期限を迎えるが、経済的な事情から退去の見通しすら立たない人は少なくない。自宅を再建するなどして仮設住宅を後にする人たちを一人、また一人と見送りながら、不安と焦りを募らせている。

 「ここにいる限り、心はいつまでも被災者のまま」

 真備町の仮設住宅で3人の子どもと暮らす会社員の女性(47)が実感を込めて言う。「仮設は自分の家という感覚がなく、いつも被災した現実を突き付けられているように感じる」からだ。

 3K(約40平方メートル)の住宅は狭くて不便だという。社会人の長男(24)と次男(19)に個室を与え、居間は中学3年の長女(15)と一緒の寝室を兼ねて使う。2人で布団を並べると、寝返りを打つスペースもない。

 仮設住宅を退去したいが、シングルマザーの身には資金の問題が重くのしかかる。豪雨で同町箭田の自宅が水没し、貯金をはたいて家電や生活用具一式を買いそろえた。長女の高校進学などに蓄えもいる。息子たちから生活費負担の申し出があったが、断った。「母親の意地」だった。

 今月末の入居期限を控え、倉敷市が建設している被災者向けの災害公営住宅に申し込んだが、抽選に漏れた。仮設の入居延長が認められたとはいえ、「何とか将来をイメージできる住まいを見つけなければ…」。焦りは募るばかりだ。

 同町上二万の仮設住宅に身を寄せる女性(71)も、災害公営住宅に落選した。

 女性は脚が悪く身体障害の認定を受けており、同居の長女(48)は持病で仕事に就くことが難しい。長年住んでいた同町箭田のコーポは被災後に解体され、戻る場所はない。

 年金のみでやりくりする母娘にとって、エレベーター付きの災害公営住宅への入居は「希望の光だった」といい、女性は「これからどうすればいいのか…」とため息をつく。

 同町箭田の仮設住宅に1人で暮らす男性(59)は、豪雨で水没した自宅の修繕を望みながらほぼ手つかずだ。「食べていくだけでやっと。入居期限が1年延びても、その後に自宅へ戻れるかは分からない」

 男性は40代の頃、病気を理由に勤めていた金融機関を辞め、自分のペースで仕事ができる整体師に。親族らから借金をして同町箭田の自宅を一部店舗に改装したが、営業を始めて間もなく豪雨に見舞われた。

 被災後は体調と相談しながら事務などのアルバイトを続けているものの、月収は5万円ほどだという。「生活の再建へ、一歩ずつが無理なら半歩ずつでも進んでいきたい」

(2020年07月05日 23時24分 更新)

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