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(11)思い出編 (4)オープロダクション代表、アニドウ会長なみきたかしさん プロデュースにも手腕 

「高畑さんは取材嫌いに見えて、本気で食らいついてくる人にはしっかり語っていた」と話すなみきさん
「高畑さんは取材嫌いに見えて、本気で食らいついてくる人にはしっかり語っていた」と話すなみきさん
「セロ弾きのゴーシュ」の一場面((C)オープロダクション)
「セロ弾きのゴーシュ」の一場面((C)オープロダクション)
 何と言っても「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)の監督ですから、最初から尊敬していましたよ。高畑勲さんとのお付き合いは僕が高校生の時、プロのアニメーターが集う研究会「アニドウ」に参加したのがきっかけです。

 当時は「ホルスを何回見たか」が、アニメファンのマニア度を測る物差しになっていて、「おれは16回見た」とかは割と普通だったんですよ。

 アニドウでは、高畑さんが衝撃を受けたフランスのアニメーション映画「やぶにらみの暴君」の上映会を開いたり、「ホルス」の宣伝を手伝ったり。高畑さんは既に有名な存在で、僕が一方的に知ってる感じでしたが。

 その後アニメーターとして入社したアニメ制作会社オープロダクションで、「アルプスの少女ハイジ」(74年)の作画を部分的に請け負いました。高畑さんや宮崎さんの仕事は驚異的なスピードで、下っ端の僕は驚愕(きょうがく)しっぱなし。高畑さんは緻密な絵コンテを毎週1本描き下ろすし、宮崎さんは350枚ものレイアウト(各場面の設計図)を描くなんて人間業じゃないですよ。それも速さや正確さ以上に無駄がないよう考えられ、アニメーターの努力が必要最小限で効果があるよう描かれていました。

 「ハイジ」の後、高畑さんとオープロダクションで映画「セロ弾きのゴーシュ」(82年)を作ったんです。高畑さんはスケジュールを無計画に延ばすと非難する人もいますが、「天空の城ラピュタ」(86年)でプロデューサーを務めたことでも分かるように、実はプロデュースの手腕も優れてました。「ゴーシュ」でもこの作品規模ならオープロダクションでも作り得るという線を引き、派手な演出はせず、オーケストラも既存の音源を使ったり。無駄なお金を掛けず、無駄なカットもない。その制作管理能力は、演出以上に注目されるところです。「ゴーシュ」は今でも上映会が開かれ、息の長い本当に良い作品を作っていただきました。

 高畑さんは気難しい印象がありますが、実はかなり優しいんです。例えばアニドウのイベントに毎年のようにゲストで来ていただいたのですが、断られたことはありません。しかも50年間すべてノーギャラ(笑)。かつて講演内容を勝手に出版した時も、一応「だめじゃないですか」と怒るんですけど、結局「まあいいか」って感じで。極めて優れた頭脳の持ち主なのですが、金もうけや虚名には無頓着。僕は尊敬の思いを込め「この人実はアホなんじゃないか」と聞こえる距離で憎まれ口をたたいていました。

 「やぶにらみの暴君」をはじめ海外の優れた作品を高畑さんは日本に紹介しています。「ゴーシュ」を初公開した際、高畑さんが気にいるに違いないと、切り絵を用いた表現で知られるロシアのユーリ・ノルシュテイン監督の「霧の中のハリネズミ」(75年)を併映したんです。案の定ほれ込んでもらえて。後に高畑さんはモスクワでノルシュテインと会い、帰国後には紹介する文章も書いています。その国際的な友情の端緒に関わったのは僕のささやかな自慢です。

 高畑さんはアニメーションの長編を作る苦労を一番分かっている人。その苦労は外国も一緒で、例えば「やぶにらみの暴君」を生んだフランスはアニメ産業が近年まで衰退していて、長編制作が困難な時期もありました。海外の作品を紹介したのは、新しい表現を学ぼうとする意欲と同時に、厳しい環境の中でもアニメーションを作り続ける外国の作家たちへのエールだったと思います。

 なみき・たかし 1952年埼玉県生まれ。69年にアニメーターの研究会「アニドウ」に参加し、アニメーションの道へ。東映動画などを経てオープロダクションに入社する傍ら、74年にアニドウの会長となる。78年には手塚治虫さんらと日本アニメーション協会を設立、事務局長を務める。上映・出版活動にも力を入れ、「もりやすじ画集」「小田部羊一アニメーション画集」などを手掛けた。2006年からオープロダクション代表。東京都杉並区。

(2020年05月04日 08時58分 更新)

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