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(12)思い出編 (5)妻・高畑かよ子さん 長男・耕介さん 岡山に強い思い入れ

家庭での高畑監督の思い出を語る妻のかよ子さん(左)と長男の耕介さん=東京都練馬区の自宅
家庭での高畑監督の思い出を語る妻のかよ子さん(左)と長男の耕介さん=東京都練馬区の自宅
高畑監督が集めた書籍やCD、DVDなどがぎっしり詰まったリビングの本棚
高畑監督が集めた書籍やCD、DVDなどがぎっしり詰まったリビングの本棚
 主人とは東映動画の同期でした。私は高卒で入社したので、主人は五つ年上。当時の印象はすごく細い青年。いつもぎりぎりに出社し、机についたとたん、パンをぱくぱく食べ出すものだから、皆さんから「パクさん」の愛称で呼ばれていました。

 私はアニメーションの仕上げ(彩色)を担当していたので、直接仕事での関わりはなかったんですが、通勤バスが一緒で会話するようになったんです。20代で結婚し、1男2女を授かりました。

 主人は、さまざまな会社を渡り歩きながら、大塚康生さん、宮崎駿さん、小田部羊一さんたちと映画作りに没頭していました。テレビの世界名作シリーズを手掛けた時は週1日、放映日だけ帰宅するような生活が何年も続きました。家でも夜中まで調べ物をするものだから朝寝坊はしょっちゅう。なかなか会社に現れないので、スタジオジブリのスタッフの皆さんに車で迎えに来てもらい、迷惑をおかけしました。

 主人の岡山に対する思い入れは強かったですね。「岡山には友人が多い。災害は少なく良いところだ」とよく言っていました。岡山空襲の体験や、戦後再開された学校での開放感あふれる日々が楽しかったことも語っていました。中学や高校の同窓会にも呼ばれ、家では友人から贈られた備前焼の器を大切にしていました。土産物では「大手まんぢゅう」が大好物だったようです。

 仕事でもプライベートでも素晴らしい人たちに巡り会え、マイペースに好きなことができ、主人は幸福な人だったと思います。身内としての苦労もありましたが、あれだけの作品を残せたことをうれしく思います。

 ◇

 幼少時、父は家に帰ってきても本を読むか寝ていることが多く、あまり相手をしてもらえなかったですね。ただ成長するにつれ、父の仕事を少しずつ理解していきました。

 家庭内は書籍をはじめ、CDやレコードなどであふれていました。父はリビングや寝床などあらゆる場所で本を読みあさり、資料が足りないと、近くの図書館にも足を運んでいました。近年は国内や世界各地の風土、文化を紹介したテレビ番組を録(と)りためていました。こうした資料の数々から、家庭にいても常に作品作りを意識し、突き詰めていた父の姿勢がうかがえるでしょう。

 私は大学卒業後、一般企業に就職して会社員となりました。父のようにアニメーションの世界に入ることはまったく考えなかったんですよ。現実主義者だったんでしょうね。父は父で決して何かを強要するような人ではなかったんです。アニメ製作の現場は非常に大変だと間近で実感していただけに、やりたいことを突き通した父のことを尊敬しています。

 私が趣味で音楽や絵画など芸術に興味を持つようになったのは当然、父の影響によるものが大きかったんです。父との会話で盛り上がったことも今ではいい思い出ですね。

 私も母も、父の作品で一番好きなのは遺作となった「かぐや姫の物語」です。映像表現、ストーリー、どれを取っても他に類を見ない出来栄えだと感じています。スタッフの方々には、父のために長い時間をかけて仕事をしていただき感謝の念に堪えません。

(2020年05月10日 16時24分 更新)

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