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「世界のニシムラ」が現場復帰 難病発症の環太平洋大ソフト監督

指導現場に復帰した西村監督(左端)=岡山市
指導現場に復帰した西村監督(左端)=岡山市
 再出発の春を迎えた。昨冬、難病を突然発症し、胸から下の自由を奪われた環太平洋大男子ソフトボール部の西村信紀監督(53)。「ソフトは人生の一部。チームを日本一にする目標は変わらない」。現役時代に「世界のニシムラ」と呼ばれた日本代表のエースは情熱を失わず、約1年ぶりに現場に帰ってきた。

 選手の動きをつぶさに追い、スピードガンで投手の球速をチェックする。3月中旬、岡山市東区のグラウンド。西村監督は車いすでベンチ前に陣取り、紅白戦を見守っていた。

 「直接教えてもらいたくてうずうずしていた。西村さんの感覚をできるだけ自分のものにしたい」。昨春入学した長崎県出身の井上裕太郎投手ら、イニングの間に助言を求めてくる学生にボールの握りやバットの出し方を教える。ノックを打つことや投球を見せることは、もうかなわない。「今も夢の中にいるみたい。目が覚めたら動くんちゃうんかって…」

 左脇腹のしびれが前兆だった。医師から難病に指定されている「脊髄空洞症」を告げられたのは昨年1月。脊髄内にたまった血液が脊髄を圧迫して傷付け、2度の手術を受けたが、胸から下は動かせず、痛みや熱さも感じなくなった。

 体調が優れず、将来への不安で寝付けない日々を過ごす中でも選手たちのことは常に頭にあった。今年1月まで約10カ月に及んだリハビリ生活。気付けばプレーの参考になる動画をナインに送り、大会にも赴いた。この間、指揮を託した初代キャプテンの平本拓朗コーチ(31)=平林金属ク=の下、チームは全日本大学選手権で4強。3度目の頂点に迫る躍進は励みになった。

 大学職員として4月から職場に復帰。監督業と合わせ、忙しい日常が戻ってきた。「グラウンドに来れば、選手が元気とかいろいろなものを与えてくれる。ハンディは経験でカバーして面白いチームをつくっていきますよ」。病と向き合いながら、教えを請う学生たちと第二の指導者人生を歩んでいく。

 にしむら・のぶのり 高知県出身。実業団の闘犬センター、大阪グローバルなどで投手として活躍し、国体優勝は9度。世界選手権は5大会連続で出場し、96年に銅、2000年は銀メダルを獲得。国内、国際大会を合わせ通算260勝を挙げ、日本代表の監督経験もある。07年の開学から環太平洋大を率い、10、16年の全日本大学選手権で優勝。09年に国際ソフトボール連盟(当時)の選手部門で日本人2人目の殿堂入りを果たした。

(2020年04月10日 08時01分 更新)

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