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豪雨1カ月「住民が消えたまち」 倉敷・真備で目にした厳しい現実

自宅2階から住民のいない地域の様子を見つめる男性=4日午後0時49分、倉敷市真備町地区

 西日本豪雨から6日で1カ月を迎えるのを前に、面積の3割が水没した倉敷市真備町地区を取材した。被災直後、がれきと泥にまみれ、壊滅状態だった現地では、建物の片付けが進み、店や医療機関も業務を再開している。少しずつ復旧へと向かっていることを実感した一方で、厳しい現実も目の当たりにした。それは「住民が消えたまち」の姿だった。

 総社市方面から国道486号を進み、真備町地区に入った。豪雨の後、ようやく水が引いた7月9日の取材と同じルートだ。

 当時は家屋や道路は泥だらけで、至る所で車が裏返しになっていた。それから1カ月近く。家屋の屋根や商業施設の看板はきれいになり、茶色だった路面もアスファルトの色に戻っていた。

 コンビニ、飲食店、ドラッグストアにも「オープン」「営業中」を伝える看板やのぼりが並ぶ。水没し機能がダウンした中核病院「まび記念病院」(川辺)はプレハブで診療を始め、クリニックや薬局なども順次再開している。

 ■客足5分の1

 「日常」を取り戻しつつある様子を確認しながら住宅街に入ると、“異変”に気付いた。

 住民の姿がほとんど見られない―。

 「被災後の1、2週間は家の片付けで近所の人たちとよく顔を合わせていたが、最近は見掛けない。どこで暮らしているかも分からない」

 改修する自宅の様子を見にきていた会社員男性(50)の言葉が、地域の現状を表している。

 被災後、いち早く営業を再開したディスカウントストアの「ディオ真備店」(川辺)。7月14日の再開直後は水や食料などを買い求める住民が目立った。だが、今は復旧ボランティアや工事業者ら町外からの客が大半で、客足は被災前の5分の1ほどに減ったという。

 被災者の中には新たな生活拠点を求めて町外に移る決断をした人も少なくないようだ。二万小(上二万)に避難している男性(82)は「うちの団地は10軒ほどだが、残るのは3、4軒だろう。年に何度か皆で食事会を開いていたのが思い出されますね…」と肩を落とす。

 ■また一から

 地域は元に戻るのか―。不安を抱えながらも、再建を期す人たちもいる。

 真備町・呉妹地区社会福祉協議会は12日、呉妹小(妹)で支援物資が配られるのに合わせ、喫茶コーナーを設ける。離れて避難生活している同地区の住民が集まって語り合い、もう一度地域のつながりを感じてもらおうと企画した。

 「今まで住民同士が支え合って暮らしてきた。人とのつながりがなく、ただ住むだけでは本当の復興にはならない」と同協議会の森本常男会長(65)。自身も全壊した自宅から離れて町外の仮設住宅に一時的に移る予定だが、「この地でやり直したい。また一から、ゆっくりやりますよ」と笑顔で話した。

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