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武鑓澄治タケヤリ会長(7)挑戦 最終製品を収益の柱に

創業100周年記念祝賀会であいさつする武鑓氏

 1984年9月、54歳の私は武鑓織布(現タケヤリ)の社長に就いた。

 1888年の創業時から技術を継承する織物業を主力とすることを再確認。企業理念を刷新し、4項目の最初に掲げたのは「人間愛」。従業員の健康と家族の幸せを最優先するという思いを込めた。2番目の「誠意、熱意、創意」は4代目社長の兄和夫が座右の銘にした言葉。兄への敬意を表した。

 新設した行動指針の一つには、私が座右の銘としているアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの「青春」から引用し「いつも夢を持ち若さを保つこと」とした。事務所と工場を結ぶ通路の壁に大きく掲示してある。

 当時の従業員は80人、生産高は月産60万メートル。従業員はピークの7分の1、生産高は3分の1まで減った。

 生産量が減った要因はいろいろあるが、帆布が一般的だったトラックの幌(ほろ)がアルミやプラスチックに変わったことが大きい。土木工事向けの中には不織布で代用される資材も多くなっていた。

 従業員の減少は横糸の交換など、手作業の多くで自動化が進み、従業員の採用数を抑えたためだ。織機の更新を進めるうちに、高速作動する織機の割合が高まったこともある。

 20台を導入したスイス・スルーザー社製の新型織機は効率化に大きく寄与した。シャトルと呼ばれる舟形器具が横糸を運ぶ旧式に対し、新型は小さな鉄片が横糸をつまんで高速移動する。旧式より遠くに糸を運べるため、従来の2倍の幅の生地が織れるようになった。作業速度は1.5倍で、計算上は旧式の3倍の生産能力を持つ。

 ただ、生地表面に凹凸がある独特の風合いに仕上がる旧式に対し、新型は画一的でベタッとなる。納入先は当初「こんなものは売れない」と否定的だったが、数カ月たつと「スルーザーでないと駄目だ」と言うようになった。業界では織機を更新するとこうした混乱が生じるのが常だ。

 本業の織物に注力することに加え、どうしても社長在任中に成し遂げたいことがあった。最終製品を手掛け、収益の柱に成長させることだ。

 わが社は売り上げの大半を納入先の大手繊維メーカーから支払われる加工賃が占める。1メートル織ってなんぼ。単価の決定権はうちにはない。業界の不況が続く中、新しいことに挑みたかった。

 87年に浄水器の生産を始めたのは、新事業の足掛かりとして適当だと考えたからだ。賃加工ではあったが、フィルター材料の中空糸は最先端素材で成長が見込めた。何より織物の主要取引先であるクラレがパートナーだったから安心できた。繊維の切断や接着に大掛かりな設備を導入し、生産はすぐ軌道に乗った。

 翌年の88年は特別な年だった。創業100周年記念式典を、クラレの幹部や政治家を招待して大掛かりに開催し、成功裏に終えた。

 一方で不幸もあった。幼なじみのいとこ尚君が病死した。同級生だったが、同業で近所にある丸進工業社長でもあり、会社経営の先輩として背中を見てきた。会社は急きょ、次男の篤志氏が後を継いだ。

 武鑓織布はグループでフラットヤーン事業を担っていたタケヤリ化成を廃業。現社名のタケヤリに改め、心機一転を図った。
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