文字

備中松山城跡貯水池は国内最大か 高梁市教委調査、用途など謎残る

国内最大の城郭貯水池とみられることが分かった備中松山城の大池

 高梁市の国史跡・備中松山城跡の貯水池「大池」が、城郭にある貯水池としては国内最大とみられることが分かり、調査している市教委が22日、報道関係者に現地を公開した。史料が少なく“謎の池”とされていたが、石垣に江戸時代の工法が使われ、排水施設や修復跡があることも見つかった。ただ、用途などは不明で、関係者は「険しい山城になぜ大規模な水利施設を設けたのか。依然謎は残る」としている。

 大池は備中松山城の北約700メートル、城よりも10メートル高い標高約440メートルに位置する。市教委は池の構造把握のため、2016年度から池の水を抜き取り発掘調査を実施。規模は縦10メートル、横23メートル、深さ4・3メートルの総石垣造りと確定した。最大で990トンの水がためられるという。日本の城郭に詳しい滋賀県立大の中井均教授(日本考古学)は「他の城にはない規模で、近世の山城を研究する上で極めて重要」と指摘する。

 石垣は江戸前期から後期まで年代の違う工法が混在し、修復を重ねている場所が少なくとも3カ所判明。排水に利用したと思われる木製のとい「木樋(もくひ)」を池底部などで確認した。調査を担当した市教委の三浦孝章文化財保護主事は「相当の資金と労力を注ぎ、施設を維持していたと思われる」と説明する。

 市教委によると、現在分かっている大池の最も古い史料は江戸初期の備中国奉行・小堀遠州が手掛けたとされる絵図で、谷をせき止めただけの単純なため池として描かれている。藩主交代の立ち会いで松山藩に約1年半滞在した播州赤穂藩家老・大石内蔵助が記した1694年の手紙には、池に屋根が設けられ、清掃用の船があるとしている。

 調査を受け、中井教授は「藩主や藩士は麓の居宅で生活し、城は象徴的な存在と思われていたが籠城戦への備えでは」と推測。その上で「大池は平和な江戸期でも藩主が城を戦術的な拠点とした表れとも言え、松山城の位置付けが変わる可能性もある」とする。

 調査は20年度までの予定。戦国期には松山城主の三村氏が毛利氏に滅ぼされた備中兵乱があったことから、刀や首を洗ったとの言い伝えが残り「血の池」「首洗いの池」などとも呼ばれる。三浦主事は「長年謎に包まれていた大池の全容が徐々に明らかになりつつある。今後も現地調査や文献の解析を進めていきたい」と話している。

 市教委は3月4日午前10時~午後3時、現地で説明会を開く。無料で申し込み不要。アクセスなど問い合わせは市教委社会教育課(0866ー21ー1516)。
カテゴリ:

【文化】の最新記事

ページトップへ

ページトップへ

facebook twitter rss

▼山陽新聞社運営サイト
さんデジタウンナビ | 岡山の医療健康ガイド | マイベストプロ岡山 | 47CLUB | さん太クラブ | おかやまリフォームWEB | LaLa Okayama
山陽新聞カルチャープラザ | 建てる倶楽部 | 山陽新聞進学ガイド | 山陽新聞プレミアム倶楽部 | まいられぇ岡山 | 囲碁サロン
▼関連サイト
47NEWS | 今日のニッポン
掲載の記事・写真及び、図版などの無断転記を禁じます。すべての著作権は山陽新聞社、共同通信社、寄稿者に帰属します。

Copyright © The Sanyo Shimbun. All Rights Reserved.