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共感力を磨け(下) 他者の立場に立った思考を

京都大学の大学院で聴講生として認知科学を学んでいた筆者

 皆さんは、あくびの伝染の話を聞いたことはありませんか。誰かがあくびをすると、ついつい自分や隣の人までがあくびをしてしまう現象です。このあくびの伝染も共感の一つの形と考えられています。では、あくびが共感に関わるとしたら、あくびの伝染がしやすい人と、そうでない人がいるのか疑問になりますよね。実際にこんな研究をした人がいます。イタリアのイヴァン・ノルシアらは様々な場面で、いろいろな人にあくびをして見せて、3分以内にあくびが移るかどうかを調べたそうです。1年がかりで109人を対象に、電車の中、会社のオフィスなど様々なシチュエーションで調べたそうです。その結果、知人、友人、家族など結びつきの度合いによってあくびの伝染の割合が違っていることがわかったんです。友人では3割程度、家族では5割程度の割合であくびが移ったそうです。これは社会的な結びつきの程度があくびの伝染に影響するという証しであり、あくびが伝染すること自体が親密さの証しとも言えるんですね。

 このあくびの伝染も共感のひとつと言われていますが、専門的には、共感には大きく分けて、認知的共感(cognitive empathy)と情動的共感(emotional empathy)の2つがあるとお伝えしました。前者は「他者の心の状態を頭の中で推論し、理解する」、いわばクールな機能を意味するのに対して、後者は「他者の心の状態を頭の中で推論するだけでなく、身体反応も伴って理解する」、いわばホットな機能を意味します。両者ともに共感と呼ばれる精神機能ではあるものの、質的にはかなり異なります。
 
 これだけでは少し専門的すぎて分かりづらいかも知れませんね。私なりに簡単に説明すると、情動的共感とは、(上)で紹介したような、史上最もハッピーなクリスマスソングを楽しそうに歌っている人たちを見て、自分も楽しく感じたり、悲しい映画を見て自分まで悲しくなったりするような、感情移入をしてしまう、気づいたら笑っている、泣いているような、感情の変化のことです。あくびの伝染もどちらかといえば、情動的共感になりますね。対して認知的共感とは、スイッチがありオンとオフを使い分けることができるもので、自分が体験していない痛みなどに対しても共感を可能にする機能です。どちらも大切な人間の機能です。この二つの機能がうまくバランスを持って働くことが私たちの生活に大切になってきます。

 共感には2つの機能があるということですが、その中で私が特に磨きをかけるべきと思ったのは認知的共感なんです。もう少しこの認知的共感について進めていきます。認知的共感は、自分が当事者でなくても、他者の心の中、心の状態を推し量って、その他者に対して自分が何をしてあげられるのか、そこまで考える機能だと私は思っています。事件や事故に遭っている人がすぐ目の前にいて、助けを求めていても、それは自己責任だから、私には関係ないと見過ごしてしまう。そんな人はなかなかいないと思いますが、見過ごせる人はこの認知的共感をする機能が働いていない人となるんです。

 もっと言えば、昨今の学校でのいじめなどは、この認知的共感の力が乏しいからこそ、いじめる人、いじめられている人を見ても、見て見ないふりができると私は思うのです。いじめられている人の気持ちを、まるで我が事のように感じる心があれば、いじめは起きないし、いじめを発見した時に、周りが初期の段階でストップさせることができるはずなんです。

 また、アナウンサーとして活動してきた私にとって、この認知的共感という機能はとても大切なものなんです。他者との円滑なコミュニケーションを行う上で重要なことは他者の意図や、欲求、あるいは信念を理解することでもありますが、コミュニケーションはいつも言葉が伴うとは限りません。非言語コミュニケーション、すなわち言葉ではなく表情や仕草、雰囲気を読む力も必要となります。スタジオにお招きしたゲストの表情の変化を見流さないように、今このゲストはどんな気分なんだろう。気分が良さそうだからこんな質問にも答えてくれるかな、なんて、他者の心の中を推し量って質問を選びます。さらに、テレビを見てくれているだろう視聴者の顔も思い浮かべながら話を進めていきます。認知的共感とは、このように他者の心の中を推し量り、他者にとって何が必要で、大切なことは何なのかを判断し、できれば言葉にしたり行動に移したりする、自分の存在の意義までも考えさせてくれる心の機能なのです。

 新人のアナウンサーで時々こんな人がいます。幼稚園や老人ホームに行って、身長差がある園児や老人に対して、たったまま上からマイクを口元に持っていき見下ろすような状態でインタビューをする人です。インタビューされる園児や老人の立場に立って考えることが苦手な人です。もちろん、指導しなくても、膝をついて、幼児と同じ目線でインタビューを自然にできる人もいます。こんなところを見ていても、その人が持っている認知的共感の機能、相手の立場に立って話や物が言えるかはっきり分かるんですね。

 認知的共感とは、直接目で見ることができない自己や他者の心的活動に関する理解なんです。自然にできなくても、こんな機能が人間には備わっているんだと思い、一歩引いて、自分は果たして相手の立場に立って言動を発したり、行動をしたりしているだろうかと考える癖をつけることから始めることが大切なように思います。これはメタな状態、すなわち俯瞰(ふかん)で自分が置かれている状態や、他者との距離、関係性を見て見る。こうすることで、認知的共感、ここでは認知的共感力と呼びますが、磨かれていくと私は思っています。この認知的共感力に、より多くの人が磨きをかければ、争いや、いじめ、パワハラ、国同士の軋轢(あつれき)も少しはなくなるのではないかと私は思っています。単純な表現で言えば、相手の気持ちになって考えることなのですが、それが今の世の中なかなかできていないように思うのは私だけでしょうか。

 2017年も残すところわずか。(上)(下)2回にわたって、共感について書いてみました。専門的にはまだまだ私も勉強不足で誤解や認識不足があった場合は許していただきたいと思っていますが、共感の中でも認知的共感という言葉は、人間の幸福感にもつながるキーワードだと私は思っているんです。アダム・スミスは「道徳感情論」の中で、宝くじなど予期せぬ幸運に恵まれた人が真の幸せをつかめるとは限らないと書いています。そして、本当に幸せについて、こう記しています。「人間の幸福が、主に、他人から愛されているという意識から生じるものであるとすれば、こうした運の突然の変化が、人間の幸福に寄与することは滅多(めった)にないことになる」と。

 この文章を読んで、改めて、少し飛躍しすぎかもしれませんが、人は他者と向き合っていかなくてはなりません。愛されるとまでは言わなくても、人は他者に認められ、理解されたいと思っている生き物だと思います。とすれば、他者を理解し、他者の心をおもんぱかる認知的共感力は、人々を幸福にできるかもしれない人間の機能なのではないと思うのです。あくびの伝染は情動的共感ですが、親密な関係性があればあるほどあくびは伝染するとは認知的共感でも言えることだと思います。世の中の他者を、家族と思って接すれば、より他者の立場に立って物事を行うことができるのではないでしょうか。

 最後は愛とはとか、人の幸福とはと、少し飛躍しすぎましたが、認知的共感とは愛や人々の幸福に限りなく関係性の深いものだと思います。我が子や、愛する人の前では、認知的共感のスイッチが入る、そんなものなのではないかと最近思うのです。

 さて、京都大学ではこの認知的共感の力で、私のような世の中では定年間近のおじさんたちが、いかに生き生きと定年後のセカンドライフを過ごすことができるのかについて論文を書きました。いつかご紹介しますね。では良いお年を。

 ◇

多賀 公人(たが・きみと) コミュニケーションコンサルタント。瀬戸内海放送でアナウンサー兼プロデューサーとして28年務めた後、ユイ・コミュニケーション・ラボ(株)を設立。企業・団体を対象に映像を使ったコミュニケーション研修トレーナーや、商品PR・ブランド広報戦略のコンサルタントとして活躍中。現在も瀬戸内海放送や山陽放送でキャスター兼コメンテーターとしてレギュラー多数。プロゴルファー石川遼選手の「ハニカミ王子」の名付け親でもある。1963年玉野市生まれ。

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