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封印した8ミリ映画と恐怖の合宿 岡山大学映画研究部の思い出(2)

1977年の夏合宿での撮影風景。左端が、まだ頭髪に余裕があった20歳のボク

『トイードルの白い森』のガリ版刷り台本。40年経過してボロボロ

 前回に続き、岡山大学映画研究部に在部した1977年から1981年までの思い出を。

 入部1年目の1977年の夏合宿は鳥取県の大山だった。映画研究部の合宿は2泊3日。合宿での一番の目的は映画制作だった。当時はもちろん8ミリフィルムでの撮影。まだ映像は、フィルムの時代だった。現在のような、誰もが簡単にデジタル撮影が出来る時代がやって来ようとは、夢にも思わなかったし、想像もしたことがなかった。

 この40年の間に、映像ソフトだけでも、ビデオテープ(VHS、ベータ)、レーザーディスク、DVD、ブルーレイと進歩し続けている。ボクが最初に購入したのは、ナショナル製のVHSビデオデッキだった。1981年、社会人になってすぐ。確か10万円以上したと思う。初めてローンを組んだ。社会人になった実感がわいた。

 ある日、当時の職場の近くに、「貸しビデオ屋」が出来たという情報を入手した。まだ「レンタルビデオ店」という呼称もなかった時代だ。5坪ほどの店内に、数十本のVHSビデオテープが、がらがらの棚に並んでいた。『イージーライダー』『俺たちに明日はない』『明日に向って撃て!』『いちご白書』『ジョンとメリー』『卒業』『燃えよドラゴン』・・・。なぜか、アメリカンニューシネマがたくさんあった。

 人生で初めて見たビデオソフトだった。全てアメリカからの輸入版。当然、字幕スーパーはない。1泊2日で5000円! 今から思えば、バカみたいな価格設定だったが、気にもとめなかった。これが、当たり前の価格だと思った。目の前にあるビデオソフトのパッケージに興奮しすぎて、脳内パニックを起こしていた。

 その中から、迷いに迷って『イージーライダー』を借りた。人生初のレンタルソフトだ。当時の120分録画用VHSテープは5000円。レンタルビデオ代と合わせて1万円。それでも、『イージーライダー』が1万円で自分のものになるんだ! という喜びで大満足だった。

 「いつかは、じっくりと見よう」と思いながら、ダビングだけせっせとした。それから約1年間、給料の大半を、その怪しいビデオ店につぎ込んだ。その店は、いつの間にかなくなった。

 その直後、レンタルビデオ・ブームが一気に到来し、1泊2日で500円の時代がやって来たのは言うまでもない。

 続いて一般的になったのがレーザーディスク。1996年、「シネマコレクターズショップ映画の冒険」開業当初は、まだ新譜が出ていた。ソフビのプレゼント応募券付き『マタンゴ』の発売は事件だった。『レオン』『トレインスポッティング』『レザボア・ドッグス』『ゴジラ』シリーズ、『若大将』シリーズ、ブルース・リー作品のソフトは良く売れた。

 しかし、2000年頃から新譜は少なくなっていき、数年後には、パイオニアがレーザーディスクプレーヤーの生産を中止する。それ以降、一部のマニアを除いて、ソフトとしての需要がなくなっていった。数万円もしていたボックス入りの豪華版が、数百円で投げ売りされる状況がやって来た。大抵のものは引き受けさせてもらっているうちの店でも、残念ながらレーザーディスクだけはお断りしている。

 話は映画研究部の合宿に戻る。40年前、8ミリフィルムの価格は、3分間で現像代も入れると2000円近くしていた。当時の2000円というと、貧乏学生には、4日間は楽に暮らせる大金だった。だから、絶対にNGは許されなかった。撮影現場は、常に緊張感にあふれていた。NGを出そうものなら、ボロクソに言われた。

 合宿には20人ぐらい参加していて、作品ごとに分かれて撮影した。ボクは先輩が監督する『トイードルの白い森』という作品に、出演者と助監督として参加していた。合宿での撮影シーンには出演することはなかったので、助監督に徹していた。

 といっても、何をしたのか全く思い出せない。少女Aを演ずる主役のMさん出演のシーンを中心に、森の中、湖のある場所で撮影は行われた。合宿が終わると、岡山大学構内、岡山駅構内、岡山市内などでロケをした。

 そのガリ版刷りの台本が手元にある。この原稿を書くに当たって、当時の資料を探していると、その中になぜかまぎれていた。表紙はボロボロで、書き込みがかなりある。その書き込みは、ボクのものではない。監督か撮影担当者のものだと思う。どうやら、サークルボックスに放り投げられていたのを、ボクが捕獲して大切にしていたようだ。

 その脚本を40年ぶりに読んでみた。ボクは、脚本の中ではKという映画研究部の学生の役だ。主人公の少女Aに、今度自分が撮影担当する映画に、ぜひともヒロインとして出演して欲しい、と頼むのだが、なかなかOKしてもらえない。あの手この手で説得し、やっと出演してもらうことになるのだが、撮影中に彼女は突然自ら降板してしまう。そして汽車に乗って旅立って行く。という、当時も何だか良く分からなかったけれど、40年後の感想も同じだ。

 脚本上では、41シーンのうち10シーンでKは登場していた。3シーンは記憶にあったが、残りは全く覚えていない。台詞もけっこうあった。ラジカセにつないだマイクに向かっての棒読みのアフレコだった。その光景を思い出しただけでも、ゾッとする。

 彼女とのテニスのシーンもあった。中学時代、軟式テニス部だったので、腰がすわったフォームだけは満足出来るものになっていたような気がする。台詞はなかったので。

 1978年、30分の短編映画『トイードルの白い森』は完成した。その年の11月、大学祭の企画として、他大学の映画研究部も参加して初の「自主制作映画上映会」が開催された。この上映会がきっかけとなって、岡山理科大学、岡山商科大学、川崎医科大学、ノートルダム清心女子大学、山陽女子短大の映画研究部との交流が続き、年に1度の合同上映会を開催することになった。

 これが今でも続いている「ストリート・ハッスル」という、地元の大学映画研究部が集まっての自主映画上映会の原点だ。この場で、『トイードルの白い森』は公開上映された。大学祭なので、一般の観客もいた。最悪の演技と棒読みアフレコで、とてもじゃないが恥ずかしくて苦痛の30分だった。感想も怖くて聞いていない。この上映を最後に、この作品を見ることはなかったし、自分の中では封印していた。

 ところが、9年前に開催された映画研究部のOB会で、O先輩から、過去の8ミリ作品をDVDにコピーしたものを出席者に配布しよう、という企画が持ち上がった。見返す勇気もなく、その時に配布されたそのDVDは、未だに封印したままだ。

 この原稿を書くにあたって、何か覚えているエピソードがなかったか、主演のMさんと共演のYさんに連絡してみたのだが、彼女たちも当時の記憶が飛んでいて、さっぱり思い出せないし、DVDも見ていないとのことだった。残念。

 ところが、来年9年ぶりに開催する映画研究部OB会の幹事に、先輩から指名された。その『トイードルの白い森』に携わった人たちも参加する予定だ。この作品について語る最後のチャンスかもしれない。それまでに封印を解いて、40年前の、長髪でスリムだった20歳の自分を見てみようと思っている。ドキドキ。

 1978年夏の合宿先は、徳島県三好市の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)だった。徳島と言われても、阿波踊りぐらいしか知らない土地だった。決定してからは、合宿費用を捻出するためのバイト生活の日々が続いた。かなりの高額だったが、何とか必要金額を捻出。詳しくは覚えていないが、バスでの移動が多かった。それも狭い路地で家と家の間のギリギリの所を通過するという離れ業。乗っているボクたちは冷や冷やだった。何とか大歩危小歩危の民宿に着くと、そこは、山と川の自然に囲まれた場所だった。周りには何もなかった。
 
 合宿初日は、「戦後日本映画史」について、ボクが講師をした。講師といっても、資料を読み上げて、たまに補足するといった大した内容のものではなかった。「日活ロマンポルノ」の項目だけは、しっかりと熱く語った記憶がある。

 その後に、部長の選出があった。例年2年生が部長になる。なぜか、ボクが選ばれた。まあ、他の人たちよりたくさん映画を観ていて、少し詳しかったからぐらいの理由だと思うけど。

 その日の晩に、前年に続いて「肝試し大会」が開催された。「大学生にもなって、何が楽しくてこんなことやるんだろう」と、1人でひねくれていた。実は、お化けが苦手だったので、内心びびっていた。

 そして、大会がスタート。予想以上にお化け担当たちのメイクの完成度が高く、悲鳴と絶叫が暗闇に響き渡った。山だらけなので、それはそれはよく響いた。数時間後、何とか終了。「肝試し大会」をやっていた場所から、ゾロゾロと血だらけのメイク、衣装のお化けメンバーたちが宿に帰ってくる。
 
 遠くでサイレンの音が聞こえた。「こんな田舎で事件あるの?」などとのんきにしゃべっていると、だんだんとサイレンの音が近づいてくるではないか。そして、民宿の前で停車。みんな「何事?」とざわめき立った。どうやら、響き渡る悲鳴を聞いた住民が、「学生が内ゲバやっているらしい」と警察に通報したらしい。

 そのタイミングで血だらけのメイクの連中がうろうろ。最悪の状況だし。警察「責任者は誰?」。運悪く部長になったばかりのボク「はい、私です」。部長の初仕事は、警察に調書をとられることだった。とほほ。この出来事は、40年経った今でも、岡山大学映画研究部の歴史に燦然(さんぜん)と輝く事件として、語り継がれているのであった。

 次回は、自主上映の思い出について書いてみたいと思っています。

 ここで前回の訂正を。サークルボックスが、映画『二等兵物語 死んだら神様の巻』のロケに使われた、と書きましたが、実際に使われたのは大学構内の別の場所でした。おわびして訂正させていただきます。

 ◇

 吉富 真一(よしとみ しんいち) 映画グッズ専門店「シネマコレクターズショップ映画の冒険」店主。中学生の時、アラン・ドロンとテレビの洋画劇場の魅力に取り付かれる。映画研究部に入りたくて、一浪して1977年岡山大学法文学部経済学科に入学。ビデオのない時代に、年間200-300本を鑑賞。1996年39歳で脱サラして、大学時代通いつめた岡山市奉還町で開業。1957年、総社市の総社東映と同じ町内生まれ。

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