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命を継ぐ 臓器移植法20年 岡山の現場から(3)忘れられない患者 悔しさ胸に新術法開発

岡山大病院に入院した蓑上真寿美さんと写真に納まる伊達教授。助けられなかった悔しさをばねに、移植の技術向上に注力する(伊達教授提供)

 京都市の中心部に位置する京都大病院。1日当たり約3千人の外来患者がやって来る。

 その中に全国から患者を集める診療科がある。肺を専門的に治療する呼吸器外科。トップを務める伊達洋至教授(58)=岡山市出身=は、1997年の臓器移植法施行後、脳死と生体を合わせ、国内最多となる200例を超える手術を手掛けてきた。

 日本における肺移植の第一人者である伊達教授にとって、忘れられない患者がいる。

 岡山大病院にいたころに担当した蓑上真寿美さん。97年12月、熊本県の自宅から入院してきた。当時15歳。心臓から肺に血液を送る血管が細くなる難病で、肺移植が必要だった。

 生体移植を検討したが、両親との血液型が合わず、やむなく脳死ドナー(臓器提供者)を待った。

 苦しい時も笑顔を忘れず、車いすで毎日、院内学級に通っていたが、翌98年5月に容体が急変。治療のかいなく息を引き取った。意思表示カードに記載した臓器のうち、角膜が提供されたという。

複雑な思い 

 蓑上さんが亡くなって約半年後の同10月、伊達教授は国内初の生体肺移植を成功させた。患者は長野県在住の20代女性。酸素と二酸化炭素を交換できなくなる重い肺の病気を患い、命が危なかった。治療法は肺移植しかなく、治療を託された。

 第一の選択肢は脳死ドナーを待つことだったが、臓器移植法施行から1年たってもドナーは1人も現れていなかった。女性に時間は残されておらず、医師団は生体移植を決断。母親と妹から肺の一部を提供してもらう方針に切り替えた。

 7時間以上に及んだ手術は無事成功した。伊達教授にとって患者を救えたことは喜ばしかったが、複雑な思いは消えなかった。

 「本来なら、生体移植はなくなっていくべき手法」。体の機能低下や手術痕といった負担をドナーに強いる生体移植はあくまで次善の策で、脳死移植が主流でなければならないと考えるからだ。

 日本では肺のほか、肝臓、腎臓で行われる生体移植だが、海外ではほとんど例がない。脳死移植が普及しない日本独自の環境が、そこに見えてくる。

生体が主流に 

 2010年の法改正で要件が緩和されるまで、脳死ドナーは全国で年10人程度と低迷。改正後は年32~64人と増えてはいるものの、15年末までに行われた移植で、生体の割合は肺で7割、肝臓、腎臓で9割に達している。

 移植の待機患者は10月末現在、全臓器で1万4千人余り、肺は300人を超えている。「移植で助かるのなら最大限、手を尽くすのが医者としての使命だ」と伊達教授は言う。脳死が少ない現状では、緊急避難であるべき生体移植が主流とならざるを得ない。

 伊達教授は14年、左肺の移植が必要な患者に、ドナーの右肺の一部を反転させて移植する生体間の手術に成功した。

 世界初とされる術法を開発する原動力になったのは、岡山大病院時代に蓑上さんを助けられなかった悔しさだ。その思いを胸に、生体移植の安全性を高め、より多くの患者が移植を受けられるように研究に力を注いでいる。

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